また見てきました。週一シンエヴァ生活スタートした??
冷静になって見ると、作品として楽しむ余裕ができました。そこで感じたことをば。
・戦闘シーンのジオラマについて
反宇宙で現実(リアリティ)と虚構(イマジナリー)が混じり合った後の初号機と13号機の戦闘シーンの話。
シンジの記憶の世界であることはゲンドウの台詞から見て取れる。しかしどうしてジオラマ風で、その後ろにはスタジオの裏側のような光景が。
これは、思うに、現実の視聴者の私達が見てみたい欲求のある戦闘シーンをイマジナリーのエヴァとキャラクター達が再現してくれてる。そういう感じなのでは。私達が戦闘シーンを見たい時にジオラマを作ってフィギュアを並べるじゃないですか?それって私達の見たいワンシーンを作っているわけで。それをやってくれたのがこのシーンなんじゃなかろうか、ね。
ちなみに、この解釈はスタァライトからヒントを得ました。スタァライト気になった人見てみてねぇ。
そういう意味でも、イマジナリーな世界を消した上でみんなが生き返る(?)世界をシンジは創造したんだね。
最後に初号機から母が出てきたのは、シンジがいつか自己犠牲のインパクトを起こす時、つまり本当に本当に取り返しのつかないことが起きる際の最後の砦だったと解釈している。そうすれば、ゲンドウの「ユイ、そこにいたのか…!」の台詞も多少納得はいくか?シンジの自己犠牲が伝わった瞬間からシンジからユイが滲み出てきた、的な。子供を助けるのは親として当然、というのが庵野にとってひとつの"母の形"なのかもしれん。
・カヲルくんのこと
終盤のカヲル君がゲンドウに代わるシーン。カヲルくんは、ゲンドウのありえた可能性のひとつなのではないか。fateで言うところのオルタサーヴァント…的な?そう考えれば、エヴァQのシンジに対する動向も頷ける。だし、エヴァQからシンジの父との対話は始まっていたとも言える。カヲルと心を通わせた経験がシンエヴァのシンジに繋がったのだろう。
それに加持さんが渚司令と呼んで絡んでる部分も、ゲンドウのifと考えれば割とありえる絡み。
駅のホームのシーンでカヲル(ゲンドウのif)とレイ(シンジのifでありレイの面影がある)が親しげなのも、納得か。
渚の息子は碇でした。
・一番最後の実写周りについて
マリさんのおかげで世界に復帰した。ホームのシンジとマリは成長していることからエヴァの呪いから解き放たれたのだろう。
ホームの向こう側とこちら側は、リアリティとイマジナリーを区別してるのかな?
シンジ達はリアリティの世界に来たから大人になっているが、ならエヴァの呪いから解放された他のエヴァパイロットも大人びているはずでは?
それは簡単。イマジナリーの、単なるアニメキャラと化したから歳を取らないだけだ。俺達だって、いつだってそうだろう?画面の中の嫁は歳を取らない。そういう話をここではしているつもり。
シンジがリアル側に来たから走って階段を駆け上り、エンディングが流れ始め俯瞰実写シーンで走る2人も見える。
それにね。昔、風の噂で『マリは庵野監督の奥様』ってのを見たことある。その真偽の程は私は分からないが、それなら、なるほど。なるほど…。そう思うと、beautiful worldは庵野監督自身のことと庵野監督の想う人類の美しさ(愛や希望)についてのメッセージに思えた。
以上です!!
追記.2021/8/7
カヲルくんが父性やゲンドウオルタ、なんて解釈をしておりました。
そういえばカヲルくんってラストでレイと2人でいたよなぁ、薄い本でも描かれてたよなぁ、と。
逆算すると、レイってユイの持つ本来の母性のシンボルなのでは?
そう考えれば、カヲルとレイはシンジにとって、両親のあるべき姿なのではないか?
その2人がくっついたって事実が、ハッピーエンド過ぎるなあ!!