声優さんのライブステージの捉え方、その価値観がアップデートされたので殴り書きです。
夜想令嬢のステージを見て、声優のステージは一言で言えば「2.5次元のライブ」でした。
【まとめると、声優さんが演じるキャラクターが好きだし、キャラクターを演じる声優さんが好きです】
発端はBlooming Cloverの恵美回。
恵美は夜想令嬢回で「こういう世界観に合わせて、自身の明るさを抑えて演じることが正解」と感じてぎこちない演技を繰り返す。その不自然な演技に監督たちは動揺。言わば元気系アイドルを素で貫いていた恵美、壁にぶち当たる。
琴葉の助けもあり『常にエドガーならどうするだろうと自問自答して役になりきれ』と心を決めた恵美。
結果、人のことを慮れて明るい恵美なりに解釈した『貧しくも心優しきエドガー』を恵美イズムで演じきった。
(ちなみに、莉緒は役への理解が年相応に深いため、演技パターンを複数用意して稽古に臨んでいた。この対比も美しかったね。他の回で莉緒のセクシー封印回もあるので、それもまた語りたいねぇ)
話を戻すと、6thSPday2の夜想令嬢のステージは、ゆきよさんが葛藤の末に演じる恵美を通して歌っているように見えまして。というか、BCのエピソードに引っ張られていた。素晴らしいステージでしたね。
この時に、過去の自身のライブへの見解の
『演者はアイドルと何年も隣を歩き息を吹き込んでくれいている。
ましてや、お金を貰って演技をするプロだから私たちオタクの想像を遥かに超えるレベルに、アイドルのことを理解してくれいているのだろう。
故に、ライブ中網膜に写るは声優の皆様だが、それはもはやアイドルのキャラクターそのものと捉えてよい。』
という考え方が更にアップデートされた。
これに加えれば、
『演者が声のみで演技をする際に最も考えることは、「そのキャラクターになりきって、この時この子なら何を考えるかな」と深く考えることではないだろうか。
つまり、声優さんは(棲み分けているとは言えど)キャラクターをもう一人の自分に近い存在、憑依、投影、そのようなことをしているのではないか。
つまりつまり…声優さんのライブは、キャラクターを3次元に通して表現している…。
つまりつまりつまり…声優さんはキャラクターと見なしてもよいと私は考えている…が…決してアイドルの実写化には留まらない…
そう…
2.5次元のステージに近似されるのではないだろうか…???』
と結論に至った。
今までは、無理に声優さんの隣にアイドルがいるとか声優さんを声優として捉えてはいけないのかとか…面倒なことを考えながらライブ映像を見ることが多々あった。
そういうのを経て。
紛れもなく演者の皆様のライブである。
しかしながら、その演者さんが、誰よりもそのアイドルを考えてくださり、キャラクターのイラストが無くとも表現してくれている。
それは、原作のある舞台、ミュージカルと通ずるところがあるのではないだろうか。
そこの終着点が
ライブは2.5次元
でした。
1年くらいの悩みがスッと。腑に落ちました。
以上です。
P.S.
やーねぇ…リアルライブありきのコンテンツ出身だからミリPになってライブ映像見ると頻繁にこういうことを考えて腕組みしていたんですよ…
バンドリやレヴュースタァライトは、リアルライブはキャラの個性の一面(?)だからそんなキャラ表現の棲み分けとか、何一つ考えたことがなかったから。これが二層展開式(公式用語)の面白さですね
おわり